東へ西へ・旅行の記録

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(8)首里城

 4日目です。5時に起きて、6時に少し散歩。
 
 何故かここは7時から朝食。
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 朝食。
 昨日は5:30夕食予約のはずが6:10からやっとで6:30を過ぎても終わらないという、とんでもないホテルですが、朝食はご覧のとおりで可もない代わり不可もなし、でした。

 8時出発。朝は国際通りがバス専用になっていて、一応とはいえ渋滞無しで首里城へ。
 ということは一般車両は?朝夕はとても動けないということなのでしょう。
 モノレールや自動車道路が整備されてきたのですが、渋滞には追い付いていないようです。
 
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 守礼の門。

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 首里城は14世紀から1879年(明治12)まで琉球王朝の居城でした。
 廃藩置県後は熊本から政府軍が首里城に移駐しました。
 
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 1945年本土防衛の要とされた沖縄には、各地から10万の軍を集結させ、その作戦本部は歴史遺跡なら爆撃されないだろうと、首里城の地下に作られた。
 巨大地下壕を作ってからその失敗に気づいた軍は南部に分散したが、米軍は首里城地下を地上もろとも猛爆撃し、那覇全域とともに灰塵となった。

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 龍樋。

 那覇も首里城も爆撃で地下までくまなく破壊されている。
 今、見ることのできる首里城は、石垣の石に至るまでほとんどが修復、復元されたものである。

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 日時計。

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 広福門。

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 玉座。

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 正殿の軸組復元模型。

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 琉球王朝の冠。

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 通路の床下が見えるようになっている。床下の基礎石積み(修復)を見せています。

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 石畳坂道。琉球時代には首里城に向かうこうした石畳坂道が3本作られ、通路となっていたという。

 11時那覇空港着。解散

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 那覇空港。ジンベエザメの飛行機がありました。

 ーーーーーーーーーーーーーー
 12年前には個人旅行で、今回はツアーですが、合わせて沖縄旅行に感じたこと。

 前回はレンタカーで渋滞の中を苦労して移動したものでしたが、ツアーはバスなので行路は地元のプロ。
 渋滞にもあわず円滑に移動出来ました。
 ただ個人旅行とは違い、当たり前ですが自分の行きたいところへは行けません。

 個人旅行で訪れた海軍地下壕、台湾、朝鮮を含めた各県出身兵士の慰霊碑、平和祈念館などは飛ばしていますし、米軍基地を間近に感じることもありません。
 ツアーではやはり、どうしても「風光明媚」名所や「観光施設」がメインになります。そのかわり、多くの場所を見物、見学できるのはメリットでした。

 ただ、一度ではありますが、自由な個人旅行で訪れていてよかったと思っています。最初もツアーなら沖縄は観光地との印象しかなかったかもしれません。

 12年前ももちろん観光地だったのですが、今はさらにさらに観光地化していました。
 前回は有名な「万座ビーチ」だったのですが、今は西海岸はいたるところが〇〇ビーチで埋めつくされています。
 今回万座毛は行きましたが、万座ビーチは立ち寄らないほど。

 狭い土地にも高層の観光リゾートホテルと観光施設がびっしりです。
 目玉の観光施設を巡る順路に十数から数十の売店を連ねた「観光モール」ともいうべきスタイルが多くなりました。
 全体が観光産業化しているわけですが、何かのあおりで観光不況になったらどうなるのだろうと不安になるほどです。

 観光産業がそれほどに発展しながらも、米軍基地は依然として減っていません。
 島内の平坦地はほとんどが広大な米軍基地のままです。
 住民は狭い丘陵地帯に市街地、住宅地、観光施設、産業などを営んでいるわけです。
 1972年に沖縄は念願の本土復帰を果たしたわけですが、良い土地はほとんど米軍基地となっている現状は何も変わっていませんし、日米地位協定により治外法権もそのままです。

 日常の事件にMPは出てきませんが、沖縄国際大学へのヘリ墜落事件のとおりで、事あれば米軍がその場所を制圧し、日本側を排除します。
 年中行事化している、米兵の婦女暴行、犯罪も基本は治外法権が適用されており、「同情」的にいくつかは日本警察に捜査させている「運用」にすぎません。

 米軍軍政下では軍政との闘い、交渉は直接だったのですが、復帰後は政府を通すことにより、沖縄の声が米軍に届かなくなった、代わりに政府が米軍と闘い交渉するかといえば、ほとんどしない。
 という指摘さえあるようです。

 非常に難しい問題を抱えた沖縄と思います。
 米軍がそのままで、あまりの観光地化とヤマトンチュ化は沖縄をいびつにしてしまうのではないか。

 かつて琉球王国であった沖縄は、一部に琉球独立論もあるそうですが、薩摩の侵略、明治の沖縄県から現状を思えば十分理解できるのですが、現実には不可能に近い困難なことです。
 墓所の造りから沖縄の特殊性を感じていましたが、門中などの社会習慣、何よりも「ウチナンチュ」との意識性。
沖縄方言としてよりも「琉球語」として保存が図られるべき言語。

 沖縄特例法というならば、そうした歴史と現状を踏まえて、民族文化の保存と教育、米軍政との直接交渉権などの思い切った自治権の拡大強化を成すべきと思いました。
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