FC2ブログ

東へ西へ・旅行の記録

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(20)イスタンブール トプカピ その2

2014_0924_153952.jpg

 残念なことに看板のとおりで、施設の中はほとんどがカメラ禁止。

2014_0924_160351.jpg
 中庭。

2014_0924_161820.jpg
 小さい方の中庭。蓮の花が咲いていました。

2014_0924_162231.jpg
 庭園の噴水です。

2014_0924_162424.jpg
 素晴らしいタイル模様です。

2014_0924_162520.jpg
 建築タイルというもののひとつの極致かも知れません。

 ハレムに入ります。

2014_0924_164736.jpg
 ハレムの内部です。
 家族以外の男は入れません。入れるのは黒人の宦官のみです。

 200以上の部屋があるそうですが公開されているのは20くらいとのことです。

2014_0924_165054.jpg
 
2014_0924_165531.jpg
 皇帝(スルタン)の妻の部屋。

2014_0924_165703.jpg
 実に豪華なものです。

 ハレムは皇帝とその大家族の居住部つまりは住宅ですが、日本の大奥とは少し異なり、選抜された少女の学校を兼ねています。
 オスマン帝国は広大な帝国内から、優れた少年少女を選抜し、英才教育を施して高級官僚など養成していましたが、少女についてはこのハレム内で養成していたのです。
 貧富や地域の区別、出身宗教もすべて無関係で平等で、イスラムに帰依することと皇帝に忠誠なことが条件です。
 ヨーロッパが野蛮な傭兵制度のころに、最初の終身雇用官吏による常備軍がイェニチェリと呼ばれました。
 さらに優秀な者は将軍、高級官僚、任命知事となりました。少女たちはその妻となりました。

 西欧や世俗派の悪宣伝に「キリスト教徒の子どもを人さらい」とか「終身奴隷制」などがあります。
 しかし、封建領主と農奴制の世界で、国がすべての面倒をみて高等教育を施し、出世あるいは玉の輿に乗せてくれるなら、世の親は子どもを必死で応募させるのが普通だろうと思います。
 18世紀にオスマン帝国と交渉したプロイセンの官僚が、オスマン帝国の外務大臣がドイツ人であることに仰天した記録があります。

2014_0924_165948.jpg

 ハレムから出ると庭でオスマン帝国時代の軍楽隊。

2014_0924_171033.jpg
 イェニチェリの軍楽隊ということになります。

 次はボスポラス海峡クルーズです。
関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://aland9.blog133.fc2.com/tb.php/172-00696f14

 | HOME | 

 

プロフィール

トラベラー

Author:トラベラー

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ

目 次 (1)
トルコ2014 (22)
沖縄2014 (8)
秋の九州2013 (10)
中央ヨーロッパ2013 (11)
晩秋の金沢2012 (6)
神戸、姫路2012 (7)
6月のスペイン2012 (15)
冬のイタリア2011 (13)
6月のヨーロッパ2010 (10)
秋の伊勢2009 (2)
6月の台湾2009 (3)
夏の函館2005 (2)
シンガポール2004 (4)
冬の長崎とハウステンボス2003 (5)
秋田他2003 (2)
冬の沖縄2002 (4)
秋の広島・宮島2002 (4)
5月の中国、江南と上海2002 (5)
夏の神戸、京都2001 (4)
その他 (11)

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

最新コメント

最新トラックバック

RSSリンクの表示

検索フォーム

FC2Ad

Template by たけやん

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。