東へ西へ・旅行の記録

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(4)ヴェネツィア

 三日目の朝も5時に起きる。昨夜、便秘和漢薬を飲んだのがよく効いた。
 外は真っ暗なのでホテル内を適当に散歩する。 
 昨年の旅行の際に時差の影響か睡眠不足が身体にきつかったので、今回は早寝をモットーにしてみた。
 
 今日は行程が早くて、6時45分から朝食。
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 写真にはありませんが、この後で卵が置いてあるのに気づき、昨日のミラノの朝食の温泉卵を思い出し、違ってもゆで卵だろうと、割ったのです。
 なんと、生卵!
 自分で好みにボイルするのだったのでした。アクシデントでした。
 それで、ツアーの若い人が3個ほど適当にボイルしてきたのですが、やはりほぼ生卵でした。
 誰も食べないので、私が1個だけ、ちゅーと吸っちゃいました。

 7時10分出発。まだ薄暗い中をバスでフェリー乗り場に行き、観光船をイメージしていたら、小型ボートでぎゅう詰めでした。まあ、ボートを鑑賞するわけではありません。
 それでも、ヴェネツィアです。
 霧がかかってますが、だんだん近づきます。
 ありました。サン・マルコ広場の鐘楼です。その右下にてっぺんの見えるのがサン・マルコ寺院のドームの頂きです。
2011_1204_161512.jpg

 上陸しました。
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 サン・マルコ広場の鐘楼(カンパネーラ98.6m)。1514年完成だが、崩壊し1912年に復元。

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 ミラノのドゥオモでは金の聖マリアでしたが、ヴェネツィア鐘楼の尖塔に立つのは金の聖マルコ像。
 大天使ガブリエルを模したと言われる。ちなみに大天使ガブリエルはイスラムの聖典クアルーンにおいてムハンマドを啓示に導く重要な位置にある。 
 
 ヴェネツィアの起源は5世紀に遡る。西ローマ帝国の滅亡によって東ゴート族、ついでランゴバルト族がイタリア半島を侵略し、征服する中、5世紀にこの湿地の堡礁に避難したのが始まりである。
 彼らは海上交易の商業で栄え、7世紀末には選出総督による都市共和国となる。ダルマチア、イオニア、エーゲ海の海賊とも交易し、船員として、また海軍として雇用する。
 コンスタンチノープル、アンティオキア、テュロス、アレキサンドリアを貿易対象とし、黒海、イスラム圏に及ぶ商圏を創り上げる。
 強大となった海洋国家ヴェネツィアは13世紀初め、第4回十字軍として、キリスト教国東ローマを攻撃略奪し、かいらい国家としてラテン帝国を作る。ヨーロッパが暗黒の中世のころであるが、ヴェネツィアではアラビア、ペルシャの科学技術と商業簿記などを取り入れ、12世紀ころからは金融業まで発達する。
 13世紀には、現代に続く金融資本が成立する。
 15世紀に他の北部イタリア諸都市が興隆するまでは、ヨーロッパではヴェネツィアが独走していたわけである。
 
 ヴェネツィアの玄関である広場には、船を迎える入り口の岸壁に対して一対の円柱が立てられている。
 海から向かって右は有翼ライオン。左は盾と槍の戦士が立っている。
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 ムーア人の時計塔。屋上で鐘を鳴らすのがムーア人の像。海洋国家ヴェネツィアは北アフリカのムーア人を使用人に多く使っていた。

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 サン・マルコ寺院。11世紀のビザンチン建築である。何となくイスラム風に感じるのも当然か。

 ヴェネツィアン・グラスのガラス工芸職人。さすがに無駄なく速い。
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 このあと展示場で15分ほど説明、20分ほど商い。どうも「買わされる感じ」が合わなく、私たちは結局買わなかった。

 ヴェネツィアのガラス工芸はヨーロッパ最古であるが、世界最古のガラス工芸が生まれたフェニキア人との関連を指摘する説もある。
 また、カーニバルの仮面から、カルタゴ(フェニキア人)との類似を主張する説もある。
 しかし、いずれもヴェネツィアの商圏が数百年の間、中東と北アフリカに及んでいたことからは取り入れて自然とも言える。 

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 リアルト橋。元は木橋だったが16世紀半ばに石造りとした。大運河の船を通すため太鼓橋となった。橋の上はアーケード商店街。
 5世紀にイタリア半島から避難して、最初に住み着いたのがこの地区となっている。

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 リアルト橋からの大運河。まだ霧がかかっている。

 ヴェネツィアを支配したドゥカーレ宮殿。
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 ドゥカーレ宮殿の中庭から。8世紀に建設され、14~16世紀に現在の形となる。ゴシック風でもあるがイスラム風でもある。

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 同じくドゥカーレ宮殿の中庭。奥がサン・マルコ寺院。

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 宮殿内部の階段入口。右はアトラス、左はヘラクレス。この奥は残念なことに撮影禁止。
 内部は普通の王宮に無いものもある。コンスルの部屋、100人委員会室、三百人委員会室、千人大講堂などがある。
 裁判所もここにあり、告発室、被疑人室、裁判所、牢獄などがある。牢獄は小運河をわたるため、隔離された「ため息橋」でつながっている

 自由時間となり、鐘楼に登った。
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 鐘楼の上から、時計塔と左は旧行政庁。

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 左がサン・マルコ寺院(大聖堂)、原型は832年。右の二棟がドゥカーレ宮殿。特に手前がイスラム風建築。

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 サン・マルコ広場は9世紀頃に原型ができ、82×157m。左奥は歴史博物館。右は旧行政庁。旧行政庁は12世紀建設。一階はカフェと名店街になっている。
 このあと、歴史博物館を見学の後、再集合して昼食となる。
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